4/14~15に行なわれたMINAKAMI VIBESで集まった義援金を4/18に勝山が被災地へ届けにいったレポートをご報告させて頂きます。イベントに参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。
こんにちは。早速14、15日のminakami vibesで集まった義援金を持って、昨年から伺っている、宮城県女川原発の近くにある寄磯という小さな漁村に行ってきました。伺う前の日に漁村の人に連絡して、漁港復興のために義援金を使ってほしいと伝えた所、正直お金をもらっても使えないと言われました。なぜですか?と聞くと、漁港は宮城県が何年か後にすべて直してくれるから、今お金をもらっても漁港が直らないかぎり義援金の使い道がないということでした。逆に日常生活に必要な消耗品を貰えると助かると言われました。正直、物資はもう足りてると思っていたし、逆に漁村の方々が気を使って義援金で受け取れないから、物資が助かるなんて言ってるのかと思いました。行き過ぎた親切だと思ったので当日はリクエストされた物資はなにも買わずとりあえず漁村に伺いました。漁村到着。色々話を伺うと物資が本当に助かると言ってたいた意味がわかりました。寄磯の漁村に住む人のほとんどが漁業関係の仕事をしていて、漁港が復興しない限り仕事もなく生活は厳しくなっていく一方で、さらに漁港が復興するのも3年位は先、もちろんそれまで国や県からの定期的な金銭的支援も一切なし、唯一の援助は家が全壊してしまった人が新築の家をたてるときに200万円出してくれるぐらいで。今の生活の現状は魚や海藻はとって、他の食料などは買ったり月に一回物資を送ってくれる人がいるらしく。仮設住宅も3年くらいで撤去されてしまうみたいで。何年先まで、今の生活をしていかなければいけないのかもわからいため、ちょっとした日用品でもお金を節約できればという状況。色々理解した上でみなさんから預かった義援金でリクエストの品を現地還元のため現地で購入させてもらいました。トイレットペーパー56点、ティッシュペーパー28点、洗濯洗剤56点、醤油56点、塩28点、砂糖28点、油56点、サランラップ28点。これらの物資を漁村のかたと一緒に配らせてもらいました。漁村のみなさんも大分喜んでいました。本当に僕が思っていた以上に、小さな漁村は色々大変でした。寄磯の漁港はすべて津波で無くなってしまって船を出すことは出来ないのですが、車で45分くらいにある漁港からなら船の出し入れができるみたいで、そこまで寄磯の漁師さんの船を数船持っていって夏にむけての漁の準備をしているのですが、やはりセシウム等の放射性物質による魚の汚染がかなり深刻で取った魚はおそらく出荷できなさそうな感じみたいで。これは東電が保証するみたいなんですが、その保証もいつになるかもわからず。東電には憤りを感じました。一度乗った船、本当の意味での復興まで寄磯の漁村を応援していきたいです。最後にこんな事も言ってました。「こんな小さな漁村のことを忘れずにいてくれたことが本当にうれしかった、ありがとう」最近は全国からあった物資等の支援もまったくなくなったみたいで・・・瓦礫が無くなってインフラが復旧し、住居が体育館から仮設住宅に移っただけで、この漁村は震災直後からなにも変わっていない感じでした。早く漁港が復興してもらいたいです。残りの義援金も継続して寄磯の漁村のために使わせていただきたいと思います。津波エリアの事態も深刻だと思いますが、福島県の現状もかなりやばいと思います。日本の隠ぺいも異常。隠せてないけど。もっと本当のことをちゃんと言えばいいのに。すみません話それました。また来年もminakami vibesよろしくお願いします。ありがとうございました。
Nori